いくぜぇ!
ゲーム関係と同じようにちょっと歴史を追ってみたい気もします。
…が、なんせ複雑さはゲーム業界に負けず劣らずの業界なので、果たしてうまく作れるかな?
雑感
- CR爆裂機は荒稼ぎしたなぁ
特に花満開と大工の源さんはマジで超絶にプラスってる
源さんはまず初打ちでお座り数千円で13連荘
最高だったのが2日連続同じ台で20箱オーバーしたとき
あれは自分でもびっくりした
- スロは一応、初代アラジンとかもやってるけど、本格的にやってたのはパルサーから
そのあと、4号機になってからはニューパルサー経由の初代ジャグラーかなぁ
爆裂な儲けはないけどね(酷かったのはイベントで設定6引いたのに負けたという…)
パルとジャグは旅打ちで結構旅費還元してもらったのはある
(出張の休みで打って、小遣い稼ぎしたこともあったな)
儲け+なのは、初代サラリーマン金太郎もかな
あまりA-Type以外は打たないんだけど、金太郎は初プレイお座り1000円で金太郎チャンス連荘で100引いちゃったからなぁ
おかげで総計はプラスでした
- 初代北斗はレインボー+北斗で単発引いたんで、それからは2度と打ってない
吉宗とか花火系、あとGODなやつもあまり打ってない
ATはあまり好きじゃないんだよねぇ
(リプレイとかダレるし)
- 5号機以降あまり勝ってる気がしない
でも、ハピジャグで5000枚オーバーはやった
それ以前は明らかにプラスだったけど、以降はトントンかマイナス傾向だと思う
6号機は論外
- お馬さんも最近はご無沙汰
トータルでいえば明らかに勝ってるけど、再開するにはまずデータを整理しないとなぁ
一応自分なりの理論があって、それに基づいてやって1日全レースを検討して悪くても原点返しを狙ってる
大体5頭をピックアップして3連複を買うんだが、調子いいときは5頭が全部掲示板に入ることもあるし、大体平均で10倍〜50倍程度はとっている
- 逆に言うと10倍以下は敢えて予想だけにして「見」で楽しんでるんだよね
GIだとホクトベガのエリザベス女王杯はきっちりとった(1着予想の馬連で)
ちなみに単勝30.4倍、馬連256.5倍だった
- 昔WINS札幌の有料席でやってたとき、隣のおっさんが払い戻し100万超えを普通に買ってて資金力すげぇと思ったよ
俺、基本数百円単位の3連複だからなぁ
1000倍超えはギリギリで切ったのを買っていれば、というのはある
実際取った最高は300倍くらいまでだけどね
道営で枠連70倍超えを3連続的中したときは自分でも神はいるとおもった
(オグリキャップ乙)
- ホッカイドウ競馬ではなく道営競馬の時代、帯広開催以外の札幌、旭川、岩見沢は競馬場にも通ってた
特に岩見沢は観客が3桁とかだったんで「999.9」倍のところに100円入れるとオッズが動くという楽しさもあったぜ
- 道営時代に中央からエクセルワイザーというお馬さんが転厩してきて岩見沢から5連勝したときがあって、ここでがっつり取らせてもらった
我が生誕の地を冠した美唄特別でもしっかり勝ってくれておいらの懐に貢献してくれたので、殆ど知ってる人はいないと思うけど、思い出深いお馬さんである
(美唄特別は道営岩見沢廃止後、中央札幌競馬で10年位前までは不定期で500万下条件として開催されていたけど、最近はなくなった)
エクセルワイザーは、生産牧場が谷川牧場で最近だとナムラクレアを輩出
過去にはニシノデイジー、サクセスブロッケン、チョウカイキャロルなど、結構コンスタントに有力馬生産してるところ
更に古くはタケホープを生産し、あのシンザンが種牡馬時代を過ごした名スタッド
いずれは訪問して、シンザン像にエクセルワイザーにはお世話になったと礼をしたいところである
- ウマ娘は一番競馬やってた時代のお馬さんが多いのでドンピシャすぎてもう泣ける
(ぼくのかんがえたどりーむかっぷ→こちら)
ちょうどUFOキャッチャーブームと重なってお馬さんのぬいぐるみが商品化されたのもこの時代
- たまに種牡馬見学で日高行ってた
初めていったときはサッカーボーイ(1988年マイルCS)、レッツゴーターキン(1992年天皇賞秋)
ニホンピロウイナー(1985年安田記念、マイルCS:フラワーパーク、ヤマニンゼファーのおとーちゃん)あたりに会った
タマモクロス(1988年天皇賞春秋、宝塚記念)、オグリキャップ(言わずと知れた芦毛の怪物)にも会いにいったなぁ
セイウンスカイ(1998年皐月賞、菊花賞)、メジロライアン(1991年宝塚記念)
ブライアンズタイム(マヤノトップガン、ナリタブライアンのおとーちゃん)あたりは写真も残してある
他にもサクラローレル(1996年天皇賞春、有馬記念)、ウイングアロー(2000年フェブラリーS、ジャパンカップダート)
そのウイングアローのおとーちゃんで、オグリやホーリックスと一緒に1989年のジャパンカップを走ったアサティス
同じくアサティスの子供でアンタレスSを2000/2001年と連覇したスマートボーイや、14戦9勝もしてるけど残念ながらOP止まりだったウインデュエル
2001年マイルCSのゼンノエルシドとかもいたなぁ
パラダイスクリーク(テイエムプリキュアのおとーちゃん)、サニーブライアン(1997年皐月賞、ダービーの2冠)あたりもいたよ
- サクラローレルの有馬記念は中山競馬場で見ているんだけど(ホクトベガも出てたので行きたかった)
だが余りの人で8Rくらいから身動き取れず、11Rでは体が勝手に運ばれてしまうくらいの人出だった
なので、ゴールの瞬間なんて見れるもんじゃなかった
まぁ、馬券自体はサクラローレルが単勝1番人気、2着は3番人気のマーベラスサンデーだったので、儲けにもならなかったけどね
この時のメンバーはなかなかに豪華なので、出走リストを検索してみるといい
(GI馬がサクラローレルも含めて8頭、マーベラスサンデーは翌年宝塚記念をとった)
ヒシアマ姐さんもいたし、皐月賞馬ジェニュインがドベという…
ちなみに3着に入ったマイネルブリッジが最低人気だったので、もし3連馬券あったら結構な配当になっただろうなぁ
(当時はまだ馬連までしかなく、ワイドや3連はない)
- 名古屋在住時は中京競馬場のウィナーズサークル前で写真撮ったなぁ
あそこめっちゃ近くでお馬さんやジョッキー、関係者を見れるんでお勧め
中京で見た変わった名前なお馬さん>「シゴトガコイビト」「カアチャンコワイ」
シゴトガコイビトは27戦0勝、このときは新馬戦だったけど名古屋→佐賀へと転厩していきました
カアチャンコワイは4戦1勝、この時のレースは競争中止でそのまま引退→繁殖牝馬となりました
…というように名前が残るのはほんの一部なんですよねぇ
- ロードカナロア(2013年高松宮記念)は現地でばっちり見てました
そのあとのCBC賞でハクサンムーンのくるくるくるくる…も
あとはハマの大魔神も見たなぁ
- 2021年9月に関東ファンファーレの作曲者であり、ドラクエなどの作曲でも知られる「すぎやまこういち」先生が亡くなられた
JRAのファンファーレって有名な作曲家ばっかなんだよねぇ
関西はヤマトやズームイン朝の作曲者で知られる「宮川泰」先生
中京・小倉は弘田三枝子「人形の家」とか明治カールのCMソングを作曲した「川口真」先生
福島・新潟はザ・ベストテンのテーマなどTV・CMソングを数々手掛けた「服部克久」先生
札幌・函館は庵野作品の作曲家としても知られている「鷺巣詩郎」先生
…とまぁ、錚々たるメンバー
海外ではあまりこういうファンファーレはないので、海外ジョッキーが来ると新鮮に思うらしい
野球もアメリカでは応援歌なんてないしねぇ
- ちょっと用事があってついでに浦河のAERUでチケゾーくんとフェニくんに会ってきたよ
残念ながらタイパラくんが亡くなったあとでしか行けなかったけど、フェニくんも気持ち寂しそうな感じではあった
チケゾーは相変わらず食欲旺盛なようでなにより
(晩飯のあとでニンジンあげたんだが、勢い凄かった…)
フェニくんといえば、2007スプリンターズSで一緒に走ったアストンマーチャンがウマ娘になったから、フェニくんにもワンチャンあるかも
- お馬さん以外の公営は北海道ではあまりメジャーじゃないからなぁ
ボートはコンサドーレのスポンサーやってくれたのは嬉しい
本州にいたときは平和島と常滑は行ったことある
平和島行ったとき、某アニメの主人公のモデル濱野谷選手がきっちり転覆したときはさすがと思ったよ…
大きく儲けてはいないけど、もつ煮込みうまー
- 自転車とオートはやってない
近況
- たまにペカらせる程度
大工の源さんの新しいのはちょっと打ってみたけどね
- 6号機はもう笑うしかない
ビッグで300枚切るとかなんすかこれ
4→5号機のときもなんやこれ、と思ったけどそれ以上だわ…
結論