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ビデオゲームは様々な形で提供されているが、同じゲームが複数のプラットフォームからリリースされることもある。
それは業務用から家庭用、またはその逆もあった。 ここではその歴史と共に特筆すべきゲームを取り上げていこうと思う。 |
ゲームにおける「移植」とはオリジナルとは別のハードで遊べるようにすることである。
これはその対象などによってその難易度が大きく異なる。
例えば元のゲームが業務用ゲームだとすると、専用のハード(基板)で作られているため画面や音、操作などは環境に縛られない。
しかし、これを一般的なパソコンや家庭用ゲーム機に移植するとなると、それぞれの環境に依存するため、単純に「移す」というわけにはいかない。
画面1つとっても描画可能なサイズや色、キャラクタ数の制限など様々な制約があり、もちろん音や操作なども同様である。
そのため、移植をする際にはそれぞれの環境に合わせるために仕様を変更したりする必要がある。
また、プログラムに関しても単純に移すことはできない。
特に言語が機械語(アセンブラ)で書かれている場合、コードはハードに依存しているため、そのまま使用することはできない。
よって、まずは動作をできる限り近づけるようにコードを書き換えてプログラムする必要がある。
そのため、移植といっても全く同じにすることは困難であり、実際かつての移植作はその大半がオリジナルと比較すると差異が目立った。
そのため、最近のハードウェアで移植を実現する場合には「エミュレータ」という手法がある。
これは元の環境、つまりハードウェアをソフトウェアで疑似的に再現し、その中で元のプログラムをそのまま動かすという手法である。
ハードウェアの性能が高くないと実行速度などで問題があったため、かつてはこの手法は一般的ではなかったが、今日ではよく見られる。
また、ハードウェア自体が後方互換性(上方互換性とも。過去の仕様を包含する性能により、その資産を再現できる互換性)を持っているケースもあり、過去の作品をそのまま使用できるものもある。
ビデオゲーム。
その始まりは「オシロスコープ※」を使ったもので、戦後まもない1947年にアメリカのトーマス・ゴールドスミス(Thomas T. Goldsmith Jr.)とエステル・レイ・マン(Estle Ray Mann)によって作られたものであると言われている。
オシロスコープはレーダー表示などに使われていたもので、そこに標的を表示させて狙い撃つといった内容であった。
そして1962年にはDEC社のミニコン「PDP-1」を使って、不特定多数の人間が遊べるよう提供された「Space War!」がマサチューセッツ工科大学の学生、スティーブ・ラッセル(Steve Russel)らによって作られた。
このゲームは2人対戦型でそれぞれの宇宙船が互いを攻撃して、その勝敗を競うというものであった。
1971年にはスタンフォード大学構内にコイン投入装置がつけられたものが設置され、これが世界初の商用ゲームとして知られる「Galaxy Game」である。
ただし、これは学生が個人的に作ったものであり、正式な商用ベースではない。
業務用としてはノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell)によって同年発売されている「Computer Space」が最初である。
「Computer Space」は商用的には成功しなかったが、彼は翌年の1972年にゲーム会社Atari※を創設し、「Pong」を発売した。
この「Pong」も1972年に世界初の家庭用ゲーム機であるマグナボックス社(Magnavox)のオデッセイ(Odyssey)に内蔵されていた「テーブルテニス」を元にしたものである。
この頃は「移植」というより「コピー」であり、後に訴訟にまで発展する「著作権」という問題を抱えていた。
この「Pong」は日本でも輸入販売され、タイトー「エレポン」やセガ「ポントロン」といったコピーも作られている。
また、1975年には玩具メーカーであるエポックにより日本初の家庭用ゲーム機「テレビテニス」が発売された。
Atariは1976年に「Break Out」を発売、このゲームも日本で大流行し、数々のコピーや移植ものが発売され、「ブロック崩し」の愛称で呼ばれた。
1977年に「カラーテレビゲーム」で業界に参入してきた任天堂も1979年に「ブロック崩し」を発売している。
この頃には国内外、規模を問わず様々なメーカーが「テーブルテニス」や「ブロック崩し」をモチーフにしたゲーム機を発売しており、まさに「雨後の筍」状態であった。
コンピュータの発展によって「ワンボードマイコン」を経て、本格的に個人がコンピュータを持てる時代が到来した。
1976年にアメリカのapple社が「apple I」、翌年「apple ][」を発売、同じく1977年のCommodore社「PET-2001」やTandy/Radio Shackの「TRS-80」などが発売された。
日本でも1979年の「NEC PC-8001」や1978年の「SHARP MZ-80k」などにより「マイコン」(Micro Computer、もしくはMy Computerの略からなる造語)時代が到来した。
当時タイトーの「スペースインベーダー」が大流行しており、マイコンで遊べないかとユーザーたちが移植を行っていた。
スペック的にはまだ業務用には劣っていたため、まさに「工夫を凝らして」作られていた。
※ユーザーたちの努力の結晶:「PC-8001用スペースインベーダー」「mz-80k用スペースインベーダー」
そして、1983年家庭用ゲームに革命が起きた。
「任天堂 ファミリーコンピュータ」と「セガ SG-1000」の登場である。
それまでのゲーム機は本体にゲームが内蔵されており、一部は切替が可能ではあったものの、自由にゲームを変えて遊ぶことはできなかった。
しかし、この革命により「カセット」(カートリッジ)を交換することにより、ゲームを簡単に差し替えすることができるようになり、自由度が一気に広がった。
ファミコンには任天堂が発売していた業務用ゲーム「ドンキーコング」(FC版)や「マリオブラザーズ」(FC版)が登場。
SG-1000には同じくセガの「スタージャッカー」(SG版)や「コンゴボンゴ」(SG版)が提供された。
ゲームセンターのゲームが気軽に家で遊べる時代がやってきたのである。
各メーカーのゲーム機は当初、ゲーム機の開発会社が提供するゲームのみが販売されていた。
一部例外はあったものの、許諾を取って移植したものであり、他社が直接開発したものではなかった。
※その他メーカー製ハードへの移植例
・ソード/タカラ「m5/M5」「スーパーパックマン」(m5版)
・トミー「ぴゅう太」「スクランブル」(ぴゅう太版)
しかし、「ソフトメーカー=ハードメーカー」という概念を打ち破ったソフトが登場した。
1983年にアメリカのBrøderbund社が発売した「Lode Runner」である。
アクションタイプの思考型パズルとして人気を博し、まず日本のパソコン向けとして同年には「NEC PC-100」や「PC-9801」用などに移植された。
更に翌年パソコン版からアーケード版へと移植され、アイレムの「ロードランナー」が発売された。
そして、ファミコン初のサードパーティとしてハドソンの「ロードランナー」が、その後セガも「SGー1000」用を発売。
ロードランナーブームが沸き起こった。
そして、同じ業務用ゲームの業界からナムコが家庭用ゲーム向けブランド「ナムコット」を引っ提げてファミコンに参戦した。
まずはロードランナーの2ヶ月後に「ギャラクシアン」の「FC版」を発売。
更に1983年(発表は1982年)に発売された「ゼビウス」の移植が登場。
まずは1984年に「シャープ X1」用に電波新聞社から移植版「ゼビウス」を発売。
その後ファミコン用としてナムコット「ゼビウス」を発売。
ゲームセンターで人気を博していたゲームの移植とあって、子供だけではなく学生や大人も家でゲームを楽しむ時代が到来した。
この流れは各業務用ゲームメーカーに広がっていき、ジャレコが「エクセリオン」(FC版)、タイトーが「スペースインベーダー」(FC版)、コナミが「イーアルカンフー」(FC版)で参入してきた。
更にパソコン用ゲームメーカーであるデービーソフトも「フラッピー」(FC版)で参入し、家庭用ゲーム機に業務用、パソコン用が移植されるという状況が生まれた。
そんな中いくつかブームを巻き起こした移植が登場する。
アーケード版がアイレム、ファミコン版が任天堂発売であった「スパルタンX」(FC版)、同じくテーカン(現コーエーテクモ)、ハドソン販売の「スターフォース」(FC版)、ナムコとナムコットが販売した「ドルアーガの塔」(FC版)などである。
そして、コナミがパソコン版として「MSX版」、家庭用として「FC版」をそれぞれリリースした「グラディウス」はFC版に仕込まれていた「コナミコマンド」が「裏技」の代表格として注目を浴びた。
任天堂はファミコン互換基板を使って、逆に業務用としてファミコン用のゲームをゲームセンター用にしたものを登場させている。
「VSシステム」と呼ばれるシリーズは画面やサウンドはファミコンと同等なものであるが、内容はファミコン版よりパワーアップしたものもあり、一定の人気を得た。
※VSシステムの例
・「アイスクライマー」(FC[FDS]版)→面セレクトがあるが、カセット版にはない(ディスクシステム版にはある)
・「バルーンファイト」(FC版)→VSシステム版は画面が上下2画面分ある
一方のセガはSG-1000から「マークIII」「マスターシステム」と投入。
同社の体感シリーズである「アウトラン」(SMS版)、「スペースハリアー」(SMS版)で巻き返しを図るも、やはりサードパーティーがないハンデは大きかった。
そこで更に新型次世代ゲーム機として「メガドライブ」を発表。
メインCPUに「Motorola MC68000」を採用し、16bit時代の先陣を切った。
発売からしばらくはセガ製品が続いたが、タイトーやナムコが参入。
自社の体感ゲームシリーズも続々と移植され、日本より北米でのシェアが向上した。
ここで面白いことが1つ起きた。
同社の「アフターバーナーII」が移植されているのだが、「アーケード」からの移植ではなく「SHARP X68000」(X68版)からの移植となった。
(電波新聞社による移植であり、同社がX68000用に発売したアナログスティックも使用できた)
任天堂は遅れること2年後に次世代機「スーパーファミコン」を発売、コナミ「グラディウスIII」(SFC版)やカプコン「ストリートファイターII」(SFC版)などが登場した。
家庭用ゲームのハードウェア性能が業務用に近づいてきており、徐々にその差が感じられなくなってきたのはこの頃からである。
ハードウェアの進歩とともに記憶媒体の容量も増加した。
スペースインベーダーの頃はわずか数KB程度だったROMの容量もMB単位となり、それでも要求される仕様に追いつかないという時代がやってきた。
そこで登場したのが「ディスク」である。
まず最初に1986年にファミコン用周辺機器として発売されたのが「ディスクシステム」である。
中身は「クイックディスク」という磁気ディスクで容量は64KB、一般的なフロッピーディスクの方式であるランダムアクセスではなく、先頭からデータを読み出すシーケンシャルアクセスを行うことで高速な読み出しを実現していた。
ソフトの書き換えが可能なこともあり、出だしは悪くなかったが技術の進歩によりROM容量が大きくなってきたため、徐々にその勢いは失われた。
次に登場したのが、当時普及が始まっていた「コンパクトディスク(CD)」を使ったCD-ROMである。
まず1987年発売、NECの「PCエンジン」用に1988年末に登場したのが「CD-ROM2」である。
CD-ROM自体の容量が540MB、更に音声データを再生することができたため、ゲーム内容や演出が格段と向上した。
その特徴を生かしたのがタイトー「ダライアス」(CD-ROM2版)である。
ただ、値段が57,800円と子供には高すぎる値段であったため、ゲームマニア受けはよかったものの、一般に普及したとは言い難いものであった。
セガも追従する形で1991年にメガドライブ用「メガCD」を発売したが、こちらも49,800円と高額であったのと、ヒット作が誕生しなかったのもあり、マニア向けという感はぬぐえなかった。
しかし、中には「タイムギャル」(MCD版)のように思い切った作品もあった。
(原作は全編LDによるアニメ映像だったが、メガCD版はメガドライブによるグラフィック描写であったため、映像は別物である)
この頃、ある大企業がゲーム業界に参入するべく動き出していた。
後に自らゲーム業界へ参入してきたソニーである。
CDの規格を巡ってオランダのPhilipsと競っていた同社はスーパーファミコン用のCD-ROMユニットを企画していた。
その名も「任天堂プレイステーション」。
そう、後に自ら発売することとなるゲーム機の名前を冠したものであった。
しかし、この計画は結局実現せず(PhilipsがCD-i規格のハードを出すという話が出て、破談となってしまった)お蔵入りとなったのだ。
しかし、ソニーは自らゲーム機を販売する道を選んだ。
1994年に発売された「プレイステーション」である。
当時、ナムコも新ハードを模索していたがソニーに開発中のプレイステーションを見せられたことで開発を断念。
代わりにソフトウェアでの協力を行うことでアドバンテージを得た。
その産物が「リッジレーサー」(PS版)である。
プレイステーションの登場により、結果として任天堂の勢力が一時衰退し、新たな時代となった。
一方、家庭用ゲーム業界に別の切り口で切り込んできたメーカーがあった。
1991年に登場したSNK「ネオジオ」である。
業務用ゲームを家庭に、というコンセプトでゲームセンターで家庭用ゲーム機であるネオジオをレンタル、ゲームセンターにあるMVS(Multi Video System)のゲームを遊べるというものであった。
しかし、実際はレンタルできる店舗数は限られ、ネオジオ本体は一般販売もされたが、本体価格が58,000円、ソフトも1本2~3万円と非常に高価であり、一般にはあまり普及しなかった。
※MVS(ネオジオ)の例
・「餓狼伝説」(NEOGEO版)
・「侍魂」(NEOGEO版)
そこで1994年には「ネオジオCD」を販売し、媒体をCDにすることで普及を狙った。
また1998年に携帯型「ネオジオポケット」も発売したが、結果的にこれらが重荷となってしまい、SNK自体が破綻するきっかけとなってしまった。
セガもCD-ROMやGD-ROM※といった光ディスク対応で1994年「サターン」、1998年「ドリームキャスト」と世代を重ねていった。
特にドリームキャストは、ほぼ同じスペックで業務用の互換基板(NAOMI)が提供されており、一部データの共有もできた。
※サターン対応ゲーム
・「パワードリフト」(SS版)
・「デイトナUSA」(SS版)
※ドリームキャスト対応ゲーム
・「クレイジータクシー」(DC版[2])
・「バーチャストライカー[3]」(DC版[2])
しかしドリームキャストの展開がうまくいかなかった上に、ソニーが「プレイステーション2」を投入。
更に多額の費用を賭けて開発した「シェンムー」が大失敗に終わった。
ここでセガも遂に力尽きてしまい、ハードウェア市場からの撤退を余儀なくされた。
また同じくNECも1994年「PC-FX」を発売した。
パソコン用の美少女ゲームを移植してリリースするなど、他社とは違う戦略を取ったがこちらも失敗となり、ゲームハード業界から撤退することとなった。
※PC-FX対応ゲーム
・「Pia♥キャロットへようこそ!!」
かくして、ゲームハードは任天堂、ソニー、そして新たに参入してきたマイクロソフトの3強で占められることになった。
この頃には先述の通り、過去のゲームの移植も行われるようになり、「コレクション」といった形で複数のタイトルが収録されたものや、「アーカイブ」といった形で過去のゲームを再現したものが提供された。
ネットワーク対応により、「ダウンロードコンテンツ」(DLC)として提供されるものもあった。
※移植例
・任天堂ゲームキューブ「ドルアーガの塔(FC版)」
・ソニーPSP「グラディウスポータブル」
・マイクロソフトXbox「ギャラクシアン(ナムコミュージアム)」
変わったところでは「存在しなかった」ゲームを「再現」したものもあり、任天堂3DS「ファンタジーゾーンII(SYS16版)」やSwitch「ギャプラス(FC版)」などがリリースされている。
(ファンタジーゾーンIIはSystem Eでリリースされたもので、それを初代ファンタジーゾーンと同じSystem 16で実際に基板を作成し、再現したものがベースとなった)
現在ではプラットフォームを再現するため「エンジン」を作成し、その上で過去の作品を動かすという形が主流である。
また、公式にそれを応用した「〇〇ミニ」といった複数のゲームを収録した専用ハードも発売されるなど、過去のコンテンツが遊べる環境が整いつつある。
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※主に電気信号の測定やレーダー受像機などに使われていた装置で、ブラウン管を利用した陰極線管タイプなのが特徴。 これは一般的なテレビとは違い、走査線で直接画像(線)を描写するものである。 ビデオゲームに使われた例もある。 ※「Atari](アタリ)の由来は囲碁の「アタリ」(相手の石を取る一歩手前の状態)からであり、ブッシュネルが日本棋院の初段を持つほどの囲碁好きであったことからである。 ちなみに「Computer Space」を発売する際に彼が創業しようとした会社は「Syzygy」といい、惑星直列を意味する単語であるが、こちらは既に登録されていて使えなかった。 また、後に「センテ」(先手)、「テンゲン」(天元)といった会社も関連会社で設立されている。 ※セガとヤマハが共同開発した光ディスクである。 CDと同じサイズでありながら、約1GBの容量を持つ。 「GD」の「G」は「Giga」の「G」である。 しかし、この後東芝やソニーなどの家電メーカー連合が容量約4.7GBの「DVD-ROM」を展開したため、広く普及はしなかった。 |